先日、中学時代の同級生の結婚式があって東京まで行ってきました。
結婚式はやっぱりいいなー(自分の結婚式が一番良かったけど)
と、まぁ誰でも思うようなことを思っていたら、久しぶりに会った同級生に言われた。
その同級生は地域の中で2番目に賢い高校で野球部キャプテン、大学も国公立に進学して、就職は超大手鉄道会社。
昔からめちゃくちゃイイ奴で、嫌味もない、男女関係なく好かれる奴で。
簡単なプロフィールを書いただけでも、本物の「リア充」感が伝わる。
東京駅で合流して、久しぶりの中学トークにも花が咲いた。LINEもつながっているし、Facebookも見てくれているらしい。
そいつが披露宴の中座の時に言ってきた一言に、違和感を覚えた。
「イトガは子どもができても、ブレずに自由に生きてて尊敬するわー」
自由に生きることは難しいのか?
自由に生きてて尊敬する…?
一瞬何を言っているんだろうかと耳を疑った。
「そうか。ありがとう」と適当な相槌を打ってはみたものの、
自分のために自由に生きることを尊敬されるのは、合点がいかない。
ものすごくストレスを抱えて仕事をしているのか。もしくは夫婦関係が良くないのか?「子供ができても」って子供を作りたいって決めたのは自分じゃ無いのか?
まぁいろんなことが駆け巡ったわけ。
僕としては、尊敬されるほど、大したことをしているわけではない。
あいつは、何かを犠牲にして生きているのだろうか。
披露宴が押したので、急いで羽田に向かい、帰りの飛行機で考えてみることにした。
その時の判断基準で最良の選択をすべき
「子供が」って言ってるということは、子供が生まれるという人生のビッグイベントがあって、あいつの考え方に揺らぎが生じた。
そう考えると、どうやら、「ブレる・ブレない」の定義が違うんじゃないだろうかという結論。
子供が生まれたことで責任感が増し、今まで考えていた考え方がガラッと変わったんだろう。
今まで考えていた優先順位や仕事に対する考え、何を大事にして、何を捨てるか。
まぁそんなところだろう。
僕イトダイとしては、【状況の変化に応じて、適切な決断を下すこと】はブレているに入らない。
だって、その時々で判断基準があって、最良の選択をしているだけだから。
変化に応じて決断を下さなければ、この世の中でやっていけない。
独身の時と何も変わらない。自由のための不自由みたいなのは有って当然。
勉強もできるし、地頭も良いあいつが、それをわからないはずが無い。何か他に理由があるんだろう
そう思って深掘りしていたら、新千歳空港に着陸していた。
変化に対応した決断に後悔をしているんじゃない?
頭の良いあいつは間違った・失敗したことが少ないんだろう。
でもそれは、教科書上の解答がはっきりしたものや、いまこの瞬間の条件でのもっとも良い解答を出すことに特化している
その点でいえば、奥さんや子供という外的要因があるため、最適解にたどり着けない。
一回出した答えを変え続けることを失敗だと感じていて、常に変わる決断に悩んでいるんだと踏んだ。
これでは、何の得にもならないし、失敗したことを後悔しているから、そんなことになる。
失敗を「やらなきゃ良かった」なんて何の意味にもならないんすよ。
「この決断は失敗することが判った」ということを糧にして、次の決断の精度を上げていくことが重要。
決断に振り返りは必要だけど、後悔は先に立たないのですべきじゃない。
僕自身も転職先がブラック企業だったことは失敗だったけど、後悔はしていない。
転職前の自分には戻れないから。
同級生に「いまからの決断は無限だから、自由だぞ。」とLINEしたけど伝わっただろうか。
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